ウクライナ

チェルノブイリ博物館が教えてくれた原発事故について

2021-07-14

今回は人類史上最大の悲劇とも言われるチェルノブイリ原発事故について学ぶことができる、キエフのチェルノブイリ博物館についてご紹介させていただきます。

 

Noriko
色々と考えさせられるものがありました。

展示内容も充実しているのでキエフにお越しの際はぜひ足を運んでみてください。

 

チェルノブイリ原発事故とは

チェルノブイリ原発事故とは、1986年4月26日午前1時23分に旧ソ連で試験運転中だったチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発して起きた原子力事故です。

爆発とその後の火災や高濃度の放射性物質による汚染で甚大な被害を出し、事故から30年以上経過した現在も現場付近は立入禁止区域として管理されています。

 

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事故現場である4号炉に実際に足を運ぶ日帰りツアーもキエフから参加することができますので、興味がある方はぜひ参加してみてください!

とても充実したツアーでした。

 

チェルノブイリ博物館

博物館概要

そんなチェルノブイリ原発事故について、豊富な資料と日本語オーディオガイドで学ぶことができるのがキエフにあるチェルノブイリ博物館です。

 

博物館はキエフ市街の北側に位置し、地下鉄やトラムを利用して訪問することができます。

こちらが博物館の入り口です。

ちなみにこの博物館に日本政府は約74000USドルの援助をしたそうです。

館内の所々で JAPAN の文字を見かけました。

 

入口展示スペース

入場してまず目に飛び込んで来たのは、私たち日本人に馴染みのある鯉のぼりでした。

「これは日本の鯉のぼりですがなぜここにあるのですか?」と、少しびっくりした私は思わず館内の案内係の方に聞いてしまいました。

 

それは福島原発事故の引き金ともなった東日本大震災で、犠牲になった子どもたちへの鎮魂の祈りと復興への願いを表したシンボルである鯉のぼりでした。

館内出入口にあるこの展示スペースには、ウクライナから日本へのメッセージや福島原発事故に関する資料がいくつか展示されていました。

事故後の除染作業の様子などが展示されています。

福島の伝統工芸品も展示されていました。

過去に大きな原子力発電所の事故を経験した日本とウクライナ。

遠い国の遠い日の出来事でありながら、他人事だとは思えない何かを感じます。

入館料を支払いオーディオガイドを借りて2階の展示場へと進みました。

 

ここには事故により立入禁止になった76の集落の名前が掲げられています。

さらに階段には聖書で生命の象徴とされるリンゴの木が根こそぎにされた絵が描かれており、途切れた人生と事故後に故郷から引き裂かれた悲しい想いが表されています。

第一展示室

第一展示室では事故が起きた夜について学ぶことができます。

なぜ事故が起きたのか、事故が起きた際や事故直後の様子など豊富な資料を見ながら学びました。

また、事故処理の際に着用された防護服や事故当時のまま時間が止まった時計も展示されていました。

原発処理者をリクビダートルと呼びますが、事故があった1986年に約30万人が処理活動にあたったそうです。

リクビダートルの写真が展示されていましたが、黄色とオレンジ色の放射線マークが付いている方は放射能の影響で亡くなられた方だそうです。

 

25年の間に、処理活動にあたった45%のリクビダートルが命を落とし、50%以上が障がい者になったそうです。

4号炉の模型です。

どのような仕組みで稼働するのか知ることができます。

事故直後、被害を抑えるために命がけで活動にあたりレーニン勲章を受章した方がいる一方で、政府から過失の罪を問われ病院で苦しみながら死を迎えた方など様々なストーリーがありました。

そんな彼らの遺品も展示されています。

こちらは事故数日後の日本の新聞です。

チェルノブイリ原発事故について取り上げられています。

 

実はこんな大事故であったにもかかわらず、当時のソ連政府は事故について国民はもちろん近隣諸国にすぐに報告することはしませんでした。

事故現場近くのプリピャチの住民にすら事故に関する正確な情報は与えられず、事故発生から36時間が経過して避難するまでプリピャチの住民は通常通りの生活を送っていたそうです。

恐ろしい…。

 

ソ連崩壊後に明るみに出た事実なども公開されていて何とも言えない気分になりました。

核分裂を抑制するために砂やホウ素をヘリコプターで4号炉に投下される作業も行われたそうで資料が展示されていました。

 

第二展示室

第二展示室では事故後の人々の生活や放射能の影響について学ぶことができます。

事故により故郷を失ってしまった人たちと廃墟になり朽ちていく村。

ここでも生命の象徴とされるリンゴの木が枯れ果て、事故により故郷へ帰ることができなくなった人たちの写真が無残に散らばっています。

故郷を失うことがどれほど悲しいことなのか感じ取ることができます。

また、放射能汚染された地区では植物や動物、昆虫の奇形化・巨大化が一部で起こったそうです。

日本で事故に関する講演会も行われたようですね。

日本からチェルノブイリへのメッセージや折り鶴なども展示されていました。

ここでは広島の原爆に関する資料もいくつか見られました。

こちらは事故のせいで一度も開園することなく廃墟となったプリピャチの遊園地の写真です。

第二展示室では事故当時はもちろん、事故後何年にもわたって多くの被害を出したということを知ることができました。

 

第三展示室

第三展示室はチェルノブイリ原発事故と今後どのように向き合っていくかというテーマで構成されています。

ここでも作業員が使用した防護服が展示されていました。

中央には未来への希望を表したノアの箱舟のオブジェが設置されています。

なんだか異様な雰囲気に圧倒されてしまいました。

当時の写真などもたくさん展示されています。

こちらは原発事故の後に生まれた子供たちの写真です。

オーディオガイドを聞きながらじっくりと見学していたら、この最後の展示室へ来るまでに2時間以上の時間を要してしまいました。

 

内容としても心をえぐられるようなものがあり、精神を消耗してしまいましたが来てよかったなと思います。

この原発事故がどのようなものだったのかより詳細を学ぶことができました。

同じ原発事故を経験した日本人としても、このような悲劇は今後絶対に起こすべきではないと感じます。

 

Noriko
キエフにお越しの際はぜひ多くの方に足を運んでいただきたい施設の1つです。

 

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所要時間・料金

所要時間
1~2時間ほど(オーディオガイドを利用した場合)
※私は何度もオーディオガイドを聞いたりしていたので見学に2時間半ほど必要でした。
料金
入館料:24UAH(約96円)
写真撮影料:48UAH(約192円)
オーディオガイド(日本語あり):60UAH(約240円)

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Noriko Sumiya

約2年間の世界ひとり旅を経験。通算80カ国+未承認国家を訪問。 2020年3月に新型コロナウイルスの影響で帰国した後は『心の声に従い、自分らしく生きる』というテーマに焦点を当て、世界中どこでもパソコン1台で収入を得られる自由な旅人に転身。同じ夢を持つ方たちを応援したいと思い情報発信をしています。ビジネスブログも書いていますのでよろしければご覧ください!

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