ウクライナ

キエフ発!チェルノブイリ立入制限区域ツアーで目にしたもの!!

2021-07-20

今回は、チェルノブイリ立入制限区域ツアーについてご紹介させていただきます。

このツアーはキエフから日帰りで参加することができるツアーです。

 

Noriko
今までの旅の中、色々なツアーに参加してきた私ですが『これほど充実したツアーは他にあまりないな』と感じるほど貴重な体験ができたと感じます!

 

チェルノブイリ立入制限区域ツアーとは

1986年4月26日午前1時23分に旧ソ連で試験運転中だったチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発して起きたチェルノブイリ原発事故

事故から30年以上が経過した今でも、事故現場付近は放射能汚染による健康被害を懸念して立入制限区域として指定されています。

ウクライナ政府は『100世代先まで人が住むことはできない。』と嘆いています。

 

そんな立入制限区域に入域許可書を取得して入域し、現状を見学するのがこのツアーです。

 

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ツアー予約方法

ツアーの予約に関してですが、私は GetYourGuide というアプリを利用して申し込みをしました。

 

GetYourGuide:ツアー&チケット

GetYourGuide:ツアー&チケット
開発元:GetYourGuide
無料
posted withアプリーチ

こちら(https://chernobyl-tour.com/english/)のウェブサイトから予約を行うことも可能です。

 

ツアーは何種類かあり、いずれも金額は11,000円前後(2021年6月現在)です。

訪問先が少し違ったり、昼食がツアー料金に含まれている、いないなどありますので見比べて自分の希望に合うツアーを選ぶとよいと思います。

 

ポイント

申込みの際、入域許可書取得のためにパスポート情報を提出する必要があります。

間違えないように入力をしましょう。

 

ツアー行程

集合・出発

ツアー当日の朝、7:20に待ち合わせ場所に集合とのことだったので7:00には待ち合わせ場所に到着するようにしました。

待ち合わせ場所には数台のミニバンが停車しており、ツアーガイドが点呼をとっています。

出発まで時間があったので近くの売店で飲み物を買って戻りました。

指定された車に乗り込み7:53に出発。

グループツアーですが、メンバーは10名ほどでした。

 

有料オプションで放射線測定器を借りることもできます。

測定してみたい方は借りてみるのもいいかと思いますが、グループ内で他に借りている方がいれば見せてもらうこともできるのでそこまで必要性は感じられませんでした。

 

8:32にガソリンスタンドに到着。

10分ほどのトイレ休憩があり、コンビニのような近代的な売店があるのでここでドリンクや軽食を購入することができます。

私もパンなどの軽食を購入しました。

 

立入制限区域チェックポイント

再び車に乗り込んで出発し、9:48に最初のチェックポイントに到着です。

事故現場から30kmの地点です。

ここにはたくさんのツアーバスが待機していました。

また、簡易トイレも設置されていました。

さらにキッチンカーがあり、軽食やドリンクを購入することができます。

チキングリルサンドイッチが50フリヴニャ(約200円)で販売されており、なかなか美味しそうでした。

 

観光地化されているその雰囲気に正直驚きました。

ガイドさんに渡された紙に名前、日付、サインなどを書き込み、入域のルールを読み待機します。

10:20。

待機していると戻ってきたガイドさんがみんなにEチケットを配ってくれました。

 

さらに待機し、11:00に軍服を着た方々がパスポートとEチケットのチェックに来ました。

確認が終わった後は車に乗り込み、11:07に出発です。

 

最初のチェックポイントを通過するのにかなり時間がかかりました。

その後車で走り、11:30にもチケットチェックを受けました。

 

四号炉見学

走る車の窓から外を眺めると、そこは緑で埋め尽くされ美しい大自然が広がっていました。

皮肉なことにほとんどの人間が姿を消したこの場所は今や野生の王国となっており、様々な動物が繁殖しているそうです。

馬、イノシシ、オオカミ、クマやオオヤマネコなどが暮らしているのだとか。

かつてここで大事故があっただなんて信じられないくらいのどかな風景が広がっています。

しかし、人の手によって作られた建築物が目に飛び込んできたとき、なぜか胸がザワザワしました。

11:50、最初の見学ポイントに到着です。

遠くに見える巨大シェルターで覆われた問題の四号炉

車を降りて写真撮影をしたり、しばらく眺めました。

 

この辺りの砂には高い濃度の放射線が残っているので決して踏まないでくださいとガイドさんから注意がありました。

アスファルトの上以外に足を置くのは危険です。

再び車に乗り、さらに四号炉に近づきます。

四号炉付近は基本的に撮影禁止スポットになっているようでした。

写真に撮ることができないのなら記憶の中にこれらの風景をこびりつけようと、私は目を皿のように丸くして夢中で外の景色を眺めました。

そして12:00に四号炉の目の前に到着です。

四号炉自体は撮影しても大丈夫です。

 

事故があった後、四号炉は石棺と呼ばれるコンクリートなどでできた建造物で覆われました。

しかし、強い放射線の影響や応急処置の対応であったために経年劣化でコンクリートに亀裂が生じ危険な状態にありました。

そこでさらに石棺を覆う巨大シェルターを2010年から建設し、2016年に完成。

今でも放射能汚染を防ぐ役割を果たしています。

このシェルターはフランス製で日本を含む45か国の国際支援を受け、設置されました。

しかし、耐久年数は約100年とのことなので建て替えなど新たな対策が必要となります。

 

モニュメントの前で代わる代わる記念撮影を行いました。

正直、ここまで近づくことができるとは思わず驚きました。

 

プリピャチのモニュメント

次に訪問した場所はプリピャチのモニュメントです。

 

ガイドさんが「ここはインスタグラムでよく投稿される場所です」とおっしゃっていました。

ここでも私たちツアー客は代わる代わる撮影を行いました。

同じツアーグループの親切なウクライナ人女性が私の写真も撮影してくれましたが、私はどんな表情をして写真に写ればよいのかわかりませんでした。

間違っても笑顔でピースをしたり、お洒落なポーズで決めて撮影を楽しむような場所ではないなと思います。

 

後で写真を見返すと微妙な表情というか、もはや邪悪な顔つきの私がそこに写っていました。

 

トイレ休憩

12:21、トイレ休憩です。

停車している黄色いバスがなんだかオシャレです。

その後ろに隠れるようにしてトイレがあります。

この辺りも緑に囲まれた爽やかな場所でしたが、人形の首が吊るされていたのが気になりました。

まるで何かを暗示しているかのようですね。

 

機器の展示場

12:37、私たちが訪れたのはチェルノブイリ原発事故に関する機器の展示場です。

事故中、事故後に除染作業などに使用された機器が展示されています。

入り口にはそれに関連する写真なども飾られていました。

さわやかな青空のもと、展示されたたくさんの廃車たち。

ボロボロになって原型をとどめていないような車もあります。

ふと足元を見ると、錆びたような赤茶色の植物が生えていました。

 

事故当時、大量の放射線を取り込んだマツなどの植物は枯死し赤色に変色したそうです。

事故現場から10km圏内にある森は赤く染まり、『赤い森』と呼ばれるようになりました。

15分ほど見学をして、次の目的地へと向かいます。

 

プリピャチ中心街

続いてやって来たのがプリピャチの中心街です。

こちらはソ連時代にいわゆるハイランクな人たちが住んでいた団地です。

現在はただの寂れた廃墟にしか見えませんが、当時は庶民の憧れの住まいだったのかもしれませんね。

少し歩くとホテルの廃墟が見えてきました。

こちらは事故後に政府関係者が処理作業の拠点として利用していたそうです。

残念ながら現在は内部へ入ることはできません。

こちらはカルチャーセンターの廃墟

プリピャチ市民はこの場所で空手、ピアノ、ダンスなどを習うことができました。

なかなか大きくて立派な建物です。

1階はディスコになっていたそうです。

 

ちなみに当時、アメリカの音楽を聴くことは禁止されていたそうです。

『アメリカの音楽を楽しんだ人は愛国心がないから逮捕。』

その、歪んだ形で求められる祖国への愛情に『さすがソ連様だな』と訳の分からない感想が頭に浮かびます。

 

私は夢中で写真を撮りながらも一生懸命ガイドさんの話に耳を傾けました。

こちらはレストラン”という名前のレストランの廃墟です。

 

この街にはレストランは1つしかないので、「レストラン」と言えば必然的にこのレストランのことを指します。

さらに言えば、一つの街に一つのレストランが基本だったとか。

 

街によってレストランの数が違ったら不平等になるからだそうです。

さすが、社会主義国家。

大切なことは、みんな平等であること”なんです。

ここはスーパーマーケットの廃墟です。

随分と荒れ果てていますが、ガイドさんは内部の説明をしてくれました。

事故発生後、「3日間だけの一時的な避難だから」という政府の言葉を信じ込み、必要最低限の荷物を持ってバスに乗り込んだ住民たち。

しかし、彼らがこの故郷へ戻り住むことは二度とありませんでした。

このスーパーマーケットも商品が陳列されたままの状態だったのでしょう。

時の流れとともにここまで荒廃してしまいました。

二階へ続く階段があります。

足を踏み入れて見学をしたいところですが、勝手な行動は禁物です。

大きな事故に繋がりかねませんし、高い濃度の放射線が残っている危険性があるのでむやみやたらに物に触れるのも避けるべきです。

当時のプリピャチ市民の生活を想像しながら見学し、次の場所へと移動します。

時を刻むのを終えた時計。

この時、‟私は今ソ連にいるのだ”という気持ちが芽生えました。

この街の時間は事故発生後から止まってしまったのです。

植物に侵食された廃墟。

不謹慎かもしれませんが、夏の青空とマッチしてとても美しいとすら感じました。

まるで、世界の終わりを見ているかのような気分です。

木々の間から顔を出す廃墟たち。

なるべく身体が植物に触れないように注意してガイドさんの後に続きます。

気持ち悪かったので写真には撮りませんでしたが、この道を歩いているときに不思議な虫が道端に大量発生していることに気づきました。

こちらはかつてオフィスとして利用されていた建物の廃墟です。

床には瓦礫が散乱し、荒れ果てています。

扉の向こうには何があるのでしょうか。

アートがある部屋もあり、ツアー客は代わる代わる撮影をしていました。

近くに建っていたマンションの屋上には未だにソ連時代のエンブレムが残っています。

この付近は多くのマンションも建設された住宅街だったようです。

 

プリピャチの遊園地

その後、私たちはプリピャチを象徴する観覧車があるプリピャチ遊園地へやって来ました。

 

ツアーメンバーのテンションが上がります。

テンションを上げていい場所なのかはわかりませんが、みんな『ついに来た!』といった感じでした。

プリピャチには当時、約4万9千人の人々が暮らしていたそうです。

住民の平均年齢は26歳。

そのほとんどは原発関連の職員とその家族たちでした。

プリピャチは原発所のためにソ連政府が計画的に開発を進めた都市だったのです。

若者たちが招き入れられた、未来ある都市でした。

遊園地などの‟贅沢品”はコストがかかるとの理由からソ連では滅多に建設されることはありませんでした。

しかし、『子どもたちの笑顔が見たいから』という想いを込めてソ連政府はこの未来ある都市に遊園地をプレゼントしたのです。

遊園地は1986年5月1日、メーデーに合わせて開園される予定でした。

しかし、直前に起きた事故により子どもたちの笑顔を一度も見ることもなくその役割を終えました。

打ち捨てられた遊園地。

観覧車は夢の国のシンボルではなく、死にゆく街のシンボルとなりました。

プリピャチには当時、15の幼稚園があったそうです。

きっと、たくさんの子どもたちが開園を楽しみに待っていたに違いありません。

誰も乗ることがなかった観覧車を目の前に、寂しい気持ちが沸き起こりました。

こちらは遊園地に隣接されたアバンガルト・スタジアムです。

サッカーチームの本拠地として使用するために建設されましたが、事故により実現することはありませんでした。

静まり返った空間と外に広がる緑の世界。

正直な感想を言うと、美しいなと思いました。

ここで暮らす野良犬でしょうか。

気持ちよさそうに昼寝をしています。

ここは彼らにとっては危険を感じる場所ではないのでしょう。

昼食

再び車に乗り、14:05に出発。

昼食を取るために食堂に向かいました。

ガイドさんが言います。

昼食はソビエト連邦スタイルです。決して豪華でもファンシーでもありませんが良い経験になるかと思いますので楽しんでください。」

と。

ここで私は重大なミスに気づきました。

私が参加したツアーは昼食が含まれたツアーだと思っていましたが含まれておらず、予めオプションで申込みをする必要があったのです。

私はオプションを申込んでいませんでした。

軽食を持参していたので食べ物に困ることはありませんでしたが、ソビエト連邦スタイルの昼食を食べたかったなとものすごく悔しい思いをしました。

 

Noriko
ツアーは昼食が含まれているものと含まれていないものがあるので申込み時によく確認をしておきましょう!

 

入り口にはこのような機械が設置されており、放射線濃度を測定します。

放射線濃度が安全な基準値であれば食堂に入場することができます。

食堂は二階にありました。

昼食をとることはできなくても食堂内を観察することはできるのでくまなく観察します。

明るい光が差し込む食堂には余分なものはなく、充分な広さがありました。

列に並び、料理を受け取るツアー客たち。

料理の種類も結構豊富な感じがしました。

美味しいのかは謎です。

食べ終えた食器類はこちらの流れるベルトに置くシステムです。

一階には小さな売店もあり、ここでお土産やコーヒー、軽食を購入することもできます。

完全に観光地化されています。

一時間ほど昼食休憩をとった後、15:00に出発しました。

 

秘密軍事施設

次に私たちが向かったのはソ連の秘密軍事施設です。

車の窓の外に四号炉が見えたので夢中で写真を撮りました。

最高機密の防空施設として運用されていたこの施設は当時の地図にはサマーキャンプ(子ども用のキャンプ施設)と記されていたそうです。

軍事施設の近くに建つバス停。

可愛らしい熊のペイントが確認できます。

これもフェイントの一種なのでしょうか。

15:25、秘密軍事施設に到着です。

入り口にはレーニンの像があり、数名の兵士が私たちを迎え入れてくれました。

もう、どうコメントしていいのかわかりません。

 

『いい子にしていないと、ソ連の兵隊さんに連れられていっちゃうよ。』

 

幼い頃に祖父に言われた言葉が脳裏をよぎります。

‟ソレン”って何?

 

幼かった私にトラウマレベルの恐怖を落とし込んだソ連という存在。

ソ連は私にとって得体の知れない、不気味で恐ろしい存在でした。

しかし、恐怖心と好奇心は紙一重。

私がソ連に対して異常に興味を抱いてしまうのは、幼い頃に聞かされた祖父の言葉が影響しているのかもしれません。

小さな森を抜けるとそこには大迫力の謎の装置が堂々とそびえ建っていました。

あまりの迫力に開いた口が塞がりません。

これはDUGA(ドゥーガ)と呼ばれるミサイル探知機です。

高さ150m、長さ500mもあるというから驚きです。

冷戦時代にアメリカからのミサイル攻撃を恐れたソ連政府はDUGAを設置。

アメリカのミサイルがソ連に到達する時間は発射後約15~20分と言われています。

一刻も早く感知して適切な対策を取らなければなりません。

実際にカザフスタンからミサイルを発射して作動状況を確認したところちゃんと作動しましたが、カザフスタンからでは距離が近すぎて果たしてアメリカのミサイルを本当に感知することができたのかは謎とのことです。

見学中に降り出した雨もいつの間にか止み、再び青空が顔を出します。

見学を終え、再び出入口へと戻りました。

そこでは兵士がソ連時代に使用されたバッジを披露していました。

お土産として購入することも可能だそうです。

これは小学生が付けたバッジで…などと拙い英語で一生懸命説明をしてくれています。

出発の時間が近づいてきたので車に乗り込もうとしたところ、1人の兵士が近づいてきて私にバッジを渡してくれました。

 

ガイドさんが言います。

「あなたがとても可愛らしいのでこれは彼からの贈り物だそうです。ソ連時代にパイロットが付けたバッジです。また、この場所へ戻ってきてくださいと言っていますよ。」

と。

 

私がキラキラとした眼差しで夢中でバッジを眺めていたからかもしれません。

果たして私が再びこの場所へ戻ってくることはあるのでしょうか。

 

チェルノブイリ中心街

私たちが最後に訪問したのはチェルノブイリ中心街です。

ここには現在、何名かの人々が暮らしています。

こうして眺めると緑が豊かな美しい街ですね。

中心街には天使のモニュメントが設置されていました。

また、ここにも事故後に立入禁止になった集落の標識が建てられていました。

このコンクリートでできた地面は地図になっており、金属でできた丸は村を表しているそうです。

整備されているものの人の姿はほとんどありません。

しかし、売店に入ると普通に食料品が販売されておりご年配の女性2人が買い物をされていました。

原発事故による身体への影響はもちろんですが、故郷を失ってしまったことによる精神への影響も大きいと言われています。

特に高齢者の方々は事故後に引っ越した新しい土地に馴染むことができず、この場所へ戻って暮らしている人もいるのだとか。

故郷というかけがえのない場所を失うということが人々にとってどれほど辛いことなのか思い知らされました。

街にひっそりとそびえたつ、崩れかけたレーニン像。

 

「繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる」
ウラジーミル・レーニン

 

キエフへ

17:15、チェルノブイリ中心街を出発して17:30に出口に到着しました。

再び放射線濃度を測定して安全な数値であれば帰ることができます。

 

ツアーメンバーの検査が全て無事に終わり、17:45に街に向けて出発しました。

朝早くから始まったツアーだったこともあり、みんなクタクタに疲労していました。

 

そして19:30にキエフに到着。

解散です。

とても内容の濃いツアーで参加してよかったなと思いました。

 

実際に自分の目で現場を見ると、事故の状況や深刻さなどをさらに実感することができます。

 

Noriko
ツアー参加前にチェルノブイリ博物館へ行き、知識を深めた状態で参加されることをお勧めします!

 

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ツアー参加時の注意点

服装・持ち物

服装

  • 長袖・長ズボン
  • 足を覆い隠すことができる靴(サンダルなどは不可)

放射線の影響を抑えるためにも身体の露出を避ける服装で参加をする必要があります。

露出が多い服装ではツアーに参加することができない場合もあります。

 

持ち物

  • パスポート

申込み時に詳細情報を知らせたパスポートを必ず持参しましょう。

 

ツアー中の行動

  • ガイドの指示に従って行動する、ガイドの目の届かない場所へ勝手に行かない
  • 勝手に物に触れない(高い放射線を含んでいる危険性があります)
  • 屋外での飲食は控える(空気中の放射線が含まれた塵を食べてしまう可能性があります)
  • 飲酒をしない

ツアーは100%安全だと言われていますが、安全か安全じゃないかは参加者の行動次第です。

危険に繋がるような行動は慎みましょう。

 

ツアー概要

キエフ発 チェルノブイリ立入禁止区域 1日グループ ツアー
所要時間:11~12時間(7:20~19:30)
料金:2,792UAH(約11,168円)
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Noriko Sumiya

約2年間の世界ひとり旅を経験。通算80カ国+未承認国家を訪問。 2020年3月に新型コロナウイルスの影響で帰国した後は『心の声に従い、自分らしく生きる』というテーマに焦点を当て、世界中どこでもパソコン1台で収入を得られる自由な旅人に転身。同じ夢を持つ方たちを応援したいと思い情報発信をしています。ビジネスブログも書いていますのでよろしければご覧ください!

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