今回は旅をしている中で出会ったブラジル人パウロとの会話で、外国の人たちから日本がどう見られているのかを感じたお話です。

ブラジル人から見た日本と日本人
パウロとの出会い
いよいよ明日はウシュアイアともお別れです。
次に私が向かうのはチリのプンタ・アレーナスという街です。
ここでふと疑問がわきました。チリ入国の際の持ち物検査は非常に厳しいことで有名です。
一切の生の野菜や果物を持ち込むことは禁止されています。
では、お米はどうなのでしょう?
私は自炊をすることからお米を持ち歩いていました。
持ち込んでトラブルになっても嫌だし置いていくべきだろうか?
少し考えた後、宿にいるチリ人に聞いてみようと思いました。
チリ人なら何か知っているかもしれない。
しかし、私が宿泊している宿にチリ人が宿泊しているのか、また誰がチリ人なのかわかりませんでした。
私はまず、ソファで1人で暇そうに腰掛けている男性に突然声をかけてみました。
『すみません、どちらの国からいらっしゃったんですか?』
と。
彼は少し不思議そうな表情を見せながらも、
「ブラジルから来ました。あっ、僕英語を話せないので…。」
と比較的流暢な英語で答えてくれました。
チリ人ではありませんが南米であるブラジル出身者です。
何か情報を持っているかもしれません。
「I Can't speak English!!」を連発し彼は私との会話を拒んでいましたが、私は米の持ち込みについての答えを得るために遠慮なく彼に話しかけ続けました。
最初は私との会話を拒んでいた彼でしたが、私が日本人だということを知ると態度が一変しました。
「えっ!!君は日本から来たの!?ということはもしかして“オリジナルジャパニーズ”なの!?」
と、とても驚いた様子で私を凝視します。
「うわ~~!!すごいなぁ!!オリジナルジャパニーズに会ったのは生まれて初めてだ!!2世や3世の友達はいるけど、君はオリジナルジャパニーズなんだね!!」
と、私のことを何度も“オリジナルジャパニーズ”と呼んでいました。
彼の名はパウロというそうです。
一緒に写真を撮りたいとまで言われ、写真撮影もしました。
すると彼はその写真を友人であるユミコに送りたいと言い出しました。
「ユミコはね僕の友達で3世なんだよ!オリジナルジャパニーズに会ったって言ったらビックリするだろうな~!!」
と、とても嬉しそうでした。
ユミコさんの写真も見せていただきました。
そこには綺麗な、日本人のような風貌の女性が写っていました。
パウロから見た日本と日本人
その後パウロは私に、一生懸命日本と日本人についての話をしだしました。
「日本人はとてもすごいと思うよ。僕は尊敬している。」
『すごくなんてないよ。』
と私が笑うと、
パウロは、
「え~っと…英語で何て言うんだっけ…」
と考え込んだ挙句、スマートフォンを操作して私に画面を見せました。
そこには翻訳機で“世界中のすべての人達が日本人のようになるべきだ”と書かれていました。
思わず爆笑してしまいます。
さすがにそれは言い過ぎだろうと。
するとパウロは真剣な表情をし、
「聞いてよ!日本人はね、真面目で、勤勉で、誠実で…君たち日本人はもっと自分に誇りを持つべきなんだ!!」
と力強く私に訴えかけてきました。
「Listen!!」と言い、物凄く真剣な顔で一生懸命喋っています。
私はちょっと驚いてしまいました。
なぜ、そこまで日本人を評価してくれるのだろう。
日本人の何を知っているのだろうと。
その後も会話は続き、気づけば2時間ほどパウロとおしゃべりをしていました。
最初は英語が話せないからと私との会話を拒んでいた彼でしたが、私が日本人だとわかった途端積極的に話をしてくれました。
途中、彼の友人であるブラジル人女性がやってきて、一緒に夕食に出かけないかと誘ってくれました。
行きたいところでしたが明日の移動のための荷造りをしていなかったので、泣く泣く断り彼らと別れました。
また、米は宿に置いていこうという結論に至りました。
ブラジルと日本の関係
私のブラジル人に対する考え方の変化
恥ずかしながら私は日本とブラジルがどういう関係にあるのか過去の歴史を含め、ほとんど知識がありませんでした。
そこで、そう言えば中学生の頃同じクラスや学年にブラジル人の生徒が数名いたなというのを思い出しました。
また、私が日本で住んでいる都市は自動車関係の工場が多いせいかブラジル人労働者や住民の姿もよく見かけました。
以前私が勤務していた会社にも数名のブラジル人が働いていたのです。
本当に恥ずかしい話ですが、正直なところ私はブラジル人に対してちょっとした偏見を持っていました。
学生の頃、学校で接してきたブラジル人生徒達は勉強や掃除をサボったり、不良グループに入っている人も少なくなかったからです。
社会人になってからも職場でブラジル人達と接する機会がありましたが、何となくブラジル人って怖いなぁと感じることがありました。
もちろんそれを露骨に態度や言葉に出したことはありませんでしたが。
しかし海外を旅してブラジル人と接して感じたことは、彼らは基本的にとても明るくフレンドリーで親切だということでした。
パウロだって、パウロの友人の女性だってそうだった。
日本社会という枠やルールを通してでしか彼らを見ることができていなかったから、そのような偏見を持っていたのかもしれません。
私のブラジル人に対する考え方は海外を旅する前と後では大きく変わりました。
ブラジルに移住した日本人の存在
なぜパウロの日本人に対する評価があんなにも高いのだろう?と疑問に思い、日本とブラジルの関係をインターネットで調べてみました。
以下、簡単にまとめました。
1888年、奴隷制度が廃止されたブラジルでは労働力だったアフリカ系移民に変わる労働力が必要だったため、ブラジル政府は日本人の移民受け入れを表明しました。
また、日露戦争に勝利したものの賠償金が得られず経済的に混乱した日本でも農村の貧困化が進み、日本政府は国民を移民としてブラジルに送り出すことを決めました。
ブラジルに行けば安定した生活が手に入る…どころかそこでは奴隷同然の苦しい生活が待っていたのです。
長時間労働に低賃金、住居はボロボロで与えられた土地は鍬を入れることすらできないほど荒れ果てています。
農場主たちから奴隷のように扱われ借金ばかりが増え、夜逃げをする者が後を絶たなかったといいます。
しかし、夜逃げをした日本人たちは自ら農地を開拓し農場主となり農業大国ブラジルの繁栄に大きな貢献をしたそうです。
また、勉学の大切さを知っていた日本人は学校で非常によい成績を収める者も多かったそうです。
日本でいう東京大学に位置づけられるサンパウロ大学に合格したかったら日本人を一人殺せというジョークがあるほどだったと言われています。
パウロがこれらの話を知っていたのか私にはわかりません。
彼が日本人を評価していた理由は結局わからないままです。
私は日本が、日本人が特別すごいだとか他の国が劣っているだとかそんなことを言うつもりは全くありません。
しかし、過去に日本から離れた遠い地で逆境にも負けず頑張っていた日本人たちが居たことを知り、胸が熱くなりました。
そして、その事実を知るきっかけを作ってくれたパウロに感謝しました。
“君たち日本人はもっと自分に誇りを持つべきなんだ!!”
果たして現在の私たち日本人は日本人であることに、日本という国に対して誇りを持つことが出来るのでしょうか。
