今回はカッパドキアへの空の玄関口として利用される街、カイセリについてご紹介させていただきます。
カイセリからカッパドキアへはバスで約1時間。
多くの観光客が空港を利用しただけで通過してしまう街ですが、私はとある事情で10日間以上滞在することになりました。

アンタルヤからカイセリへ移動
アンタルヤ市街からアンタルヤオトガルへ
まずはアンタルヤからカイセリへ移動です。
アンタルヤ市街からアンタルヤのオトガルへはトラムを利用して行くことができます。
路線も1本しかないので迷うこともありません。
市街から約15分ほどでオトガルに到着しました。
アンタルヤからカイセリへ
11:10、乗車予定のバスがオトガルに到着したので乗り込みました。
出発は11:30です。
チケットは前日にあらかじめ手配をしておきました。
4分遅れて11:34に出発。
バスに乗る前にランチを食べておくべきかバス会社のスタッフにたずねると「食べる必要はない!」と言われたので空腹のまま乗車しましたが、なかなかランチ休憩する様子がありません。
車内ではコーヒーが配られましたがお腹は満たされない…
お腹が空いた…と思っていたら通路を挟んだ隣の席に座っているトルコ人の方がシミットというトルコのパンを分けてくれました!
中にクリームチーズが入っていてとても美味しいです。
彼はツアーガイドの卵ということで、とても歴史や観光地に詳しくいろんな話をしてくれました。
「なぜカイセリへ行くの?」と聞かれたので、
『カイセリは信仰深い街と聞いたから興味があるんです。』
と答えたらOSHOの本を取り出し、スピリチュアルな話をし始めたのでビックリしました!
16:30にやっとランチ休憩です。
キョフテとアイランとパンで32リラ(約420円)。
少し高めの観光地価格です。
仲良くなったトルコ人とおしゃべりをしながら食べました。
彼はカッパドキアに住んでいるということでカッパドキアに来るならうちに滞在すればいいよと言ってくれます。
トルコはおもてなしの文化がすごいですがさすがに出会ったばかりの男性の家に宿泊するのは気が引けますね。
30分ほど休憩をし、バスは17:03に出発。
19:35に再び休憩所に到着です。
仲良くなったトルコ人がチャイをご馳走してくれました。
30分ほど休憩して20:07に出発。
アンタルヤからカイセリへの道のりは意外と長いです。
そして23:13にやっとカイセリのオトガルに到着です。
カイセリオトガルからカイセリ市街へ
カイセリのオトガルから市街へはタクシーかトラムで移動することができます。
私が到着したのは23時を過ぎていたのでタクシーを利用しました。
メータータクシーで35リラ(約460円)でした。
トラムを利用する場合はトラム乗り場の近くに設置されている自販機でチャージ式カードを購入する必要があります。
チャージ式カードはカード代が10リラ(約130円)。
そのカードにチャージして利用します。
おつりは出ないのでチャージする際は注意してください。
使い切りのチケットは残念ながら販売されていませんでした。
1律3リラ(約40円)で乗車できます。
カイセリとは
中央アナトリアで最も大きな街です。
カイセリエルキレット空港があり、カッパドキアまで車で約1時間弱という立地のため観光客の空の玄関口として利用されています。
かつてはカッパドキア王国の首都としてマザカと呼ばれていたそうです。
セルジューク朝の建築物があちこちに見られ、冬になるとスキーをするためにたくさんの観光客が訪れるそうです。
カイセリ観光
カイセリ城
カイセリの観光スポットは中心街にまとまっているので数時間で観光をすることが可能です。
まず、目を引くのがこちらのカイセリ城。
6世紀のビザンチン帝国時代にユスティニアヌス一世によって建設されたものです。
現在は城壁のみの姿となっておりますが、内部は博物館やバザール、レストランやカフェなどが入っているそうです。
鳩の家もたくさん設置されていてにぎやかですね。
上を見上げると可愛らしい彫刻がありました。
私が訪問したときは残念ながら新型コロナの影響で閉鎖されていましたが、外から見たお城も保存状態がとてもよく立派で見ごたえがありました。
カイセリクロックタワー
クムフリエット広場にあるカイセリのシンボルの1つでもあるカイセリクロックタワー。
1906年、オスマン帝国時代にアブドゥルハミド2世の命令によって建てられたそうです。
1924年にはトルコ建国の父でもある初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクも訪れたとされており、歴史の舞台となった場所でもあります。
カイセリにお越しの際はぜひその姿を眺めてみてください。
セイイッド・ゼイネラビディンの霊廟
イスラム教神秘主義リファーイー教団の教主セイイッド・ゼイネラビディンの霊廟です。
窓から中を覗くことができました。
中には棺が安置されています。
フナット・ハトゥンコンプレックス
カイセリ城のすぐ近くに建つこちらのフナット・ハトゥンコンプレックスは1238年、セルジューク朝時代にラディン・ケイクバッド一世の妻であるフナトハトゥンによって建設されたいわゆる総合施設です。
内部はモスク、墓、ハマムなどが入っており、ハマムではサウナやあかすり、トルコ式ハマムなどが体験できるようです。
中央アジアを彷彿させる美しい建築物にテンションが上がってしまいました。
サハビエ神学校
こちらのサハビエ神学校はイスラム教や科学、数学を教える神学校だったそうです。
内部も少しだけ覗くことができました。
新型コロナの影響で内部の施設は閉鎖されているようでしたが、普段は本屋さんが営業しているようです。
セルジューク朝の建築物が美しいですね。
ウズベキスタンを思い出しました。
ミマール・スィナンパーク
こちらも中心街近くにあるミマール・スィナンパークという公園です。
カイセリ生まれのトルコ人建築家、ミマール・スィナンのために作られた公園です。
園内には博物館があるようですが、残念ながら閉鎖されていました。
園内は花や樹木なども多く、リラックスできる環境が整っているので観光に疲れたら一休みするのもいいかもしれません。
モスクもありました。
私はゆったりお散歩をして過ごしました。
カイセリの様子
市街
カイセリの中心街は意外と近代的でビルも建ち並び発達しています。
観光客が少ないせいか英語を話す人が少ない印象でした。
しかし、言葉は通じなくても外国人である私に対してみんな笑顔で親切に対応してくれました。
歩いていると手を振られることもあるくらいです。
住宅街は同じ形状の家々が建ち並び、まるで旧ソ連のようだなと少し興奮してしまいました。
下町のような雰囲気が漂う地区はアラビア文字が随所に見られ、いかにも中東といった感じがします。
道を歩いているとスイカ屋さんを発見しました。
トルコは果物がとても安く販売されています。
食べたかったですが1人で食べられる量じゃないので諦めました。
信仰の街
カイセリは信仰深い人が多いと言われている街です。
街を歩くとニカブを着ている女性を見かけます。
また、至る所でモスクを見かけますし1日に何度も大音量でアザーンが聞こえてきます。
私は滞在中、毎朝4時半~5時にアザーンで目が覚めていました。
お昼時、通りかかったモスクの中を覗くと何名もの方がメッカに向かって礼拝をしていました。
とても神秘的な雰囲気で静かな気持ちになります。
内部の装飾もとても美しく見事です。
トルコ国民は親日家
お昼ご飯に魚のサンドウィッチを注文して出来上がるのを待っていたとき、英語が堪能なトルコ人男性が突然声をかけてきました。
出身国を聞かれたので、日本だと答えると彼はこう言いました。
「私たちにとって日本は特別な国なんだ。」
そして、エルトゥールル号遭難事件の話をし出したのです。
エルトゥールル号遭難事件
9月は台風の季節ということや、エルトゥールル号が築26年の木造船だったことから日本国当局は修理を勧めました。
しかし、帰りが遅れないようにと使節団は3か月間東京に滞在した後予定通り帰路につきました。
そして横浜港を出た翌日の1890年9月16日、エルトゥールル号は台風に遭遇し船甲羅岩礁に衝突。
船内の機器に流入した海水によって爆発を起こし587名が殉職しました。
その際、事件に気づき救助に当たったのが和歌山県串本町の紀伊大島の島民たちです。
彼らは台風の中危険を顧みず救助にあたり、不眠不休で介護をしました。
とても貧しい村で自分たちが食べるものすらなくて困っていましたが、そのわずかな食料を負傷したトルコ人乗員らに分け与え、非常食用の鶏までも提供して懸命に介抱したそうです。
さらに日本全国からも多くの義援金や物資が送られ、生存者69名は神戸で治療を受けた後、日本海軍の軍艦で無事帰国することができました。
トルコが親日国の理由の1つとして、トルコ人は学校でこのエルトゥールル号遭難事件のことを習うので日本人に対してよいイメージを持っていると言われています。
しかし、私はトルコに来て3回目になりますが今までエルトゥールル号遭難事件の話をするトルコ人に一度も出会ったことがありませんでした。
インターネット上では、「エルトゥールル号遭難事件のことを知っているトルコ人はいない。そんなことを言っているのは日本人だけだ。」というような意見も見かけたことがあります。
しかし、こうして実際にトルコ人の口からエルトゥールル号事件の話を聞くことができ、とても感動しました。
エルトゥールル号事件を題材にした映画もあると教えてもらいました。
「とても貧しい村だったにもかかわらず、助けてくれてありがとう。」
その言葉を聞いたとき、私もお礼を言っていました。
『こちらこそ、イラン・イラク戦争のときはたくさんの日本人を助けてくれてありがとうございました。私たちは決してその恩を忘れません。』
と。
興味のある方はぜひ、海難1890という映画を観てみてください!
もしも全世界の人たちがこんな風に国や人種を超えて困ったときはお互いがお互いを助け合い、共栄共存の道を選んだなら世界はもっと美しくて幸せな人が増えるかもしれませんね。
カイセリのお勧め宿
Konak Kayseri Hotel
カイセリ滞在中に利用したホテルがこちらの Konak Kayseri Hotel です。
実は次に行く予定の街へのバスが10日後しかないと言われ、カイセリではホテルにゆっくり滞在して仕事などしていました。
中心街から離れているものの生活には困りませんし、広いお部屋に熱々のシャワー、そして朝食もついて10ユーロ(約1,330円)というコストパフォーマンスの高さ。
朝食のボリュームもたっぷりで毎朝楽しみでした。
Wyndham Grand Kayseri
もう一軒滞在したホテルがこちらの Wyndham Grand Kayseri です。
広々としたお部屋に仕事用デスクやソファもあって1泊28ユーロ(約3,734円)という破格の値段でした。
バスタブもついていたのでスマホでできる仕事はバスタブに浸かりながらスマホでやっていました。
本当に湯船は貴重です。
カイセリの中心街に位置し、すぐ近くに大きなスーパーマーケットもありますし窓からの眺めもとても素晴らしいです。
カイセリのお勧めレストラン
カイセリ滞在中は残念ながら街がロックダウンされており、ほとんどレストランへ行くことができませんでした。
しかし、魚屋さんが並ぶストリートがあり、そこで焼き魚を挟んだサンドウィッチを何度か食べました。
ボリュームもたっぷりですし、15リラ(約195円)ほどで食べることができるのでお勧めです。
好きな魚を選んで挟んでもらうスタイルです。
こちらはチーキョフテという生の肉団子料理。
始めて挑戦してみましたが、不思議な料理過ぎて私はあまり好きになれませんでした。
でも、こちらのお店の店員さんがとても優しい方で、食べ終わった後もこちらのチーキョフテを出してくれたりドリンクもサービスしてくれてお金は要らないよ!とおっしゃってくれたのです。
とにかくカイセリは優しい方が多くて感動した街でもあります。
こうして10日以上をこの街でゆったり過ごしました。
おそらく旅行者で10日以上もカイセリで過ごす人は稀だと思います。
行き方・料金
アンタルヤ市街からアンタルヤオトガルへ
所要時間:片道約15分~
料金:片道3.65TRY~(約47円)
アンタルヤからカイセリへ
所要時間:片道約11時間30分~
時刻表:出発11:30-到着23:00
料金:片道130TRY~(約1,695円)
【乗車場所】アンタルヤオトガル
【降車場所】カイセリオトガル
カイセリオトガルからカイセリ市街へ
所要時間:片道約20分~
料金:片道3TRY~(約39円)
所要時間:片道約15分~
料金:片道35TRY~(約456円)