Spiritual Journey

世界80カ国を旅した私が想うこと

2021-03-21

こんにちは、Norikoです。

私は2017年12月31日にずっと夢だった世界一周・海外1人旅に出発し、2020年3月22日に新型コロナウイルスの影響を受け、旅の途中に帰国をしました。

 

そして、2021年4月現在、私はまた海外を旅しています。

当ブログでは、新しく始まった旅の様子と過去の旅について同時に記事を更新させていただいています。

 

そして今回は2020年3月22日に帰国して1度旅を終えた私が、その旅から何を感じたのか書き残させていただきます。

また、機会があれば再び旅立つことになった経緯も書かせていただこうと思います。

 

Noriko
私の本音が詰まっています。よかったら、ぜひ読んでください!

 

旅路で気づかされたこと

2017年12月31日から2020年3月22日まで、『心の声に従って』『今この瞬間を生きる』というテーマで世界を旅しました。

 

約2年間に渡るこの旅は、私にとって夢を叶えるとても素晴らしい旅でした。

それと同時に、『楽しい長期旅行』などという言葉では到底収まりきらないものがありました。

 

乗り越えられないトラブルはなかった

ドイツでiPhoneを盗まれ、

アルゼンチンではうっかり飛行機に乗り遅れ、

深夜、アフリカのザンビアの空港のベンチで嘔吐し意識を失いかけてエアポートクリニックに搬送され、

深夜のトルクメニスタンの砂漠でGPSが作動しなくなり1人で遭難しかけ、

セネガルでは政治デモの中心地で乗車していたバスに催涙弾を打ち込まれ本気で殺されるかと思いました。

他にも数え切れない失敗やトラブルに見舞われました。

 

でも、ここで死ぬかもしれないと本気で感じた時ですら、一瞬たりともこの旅に出たことを後悔することはありませんでした

 

いつだって必ず助けてくれる人がいた

困っているときも、困っていない時ですら見ず知らずのたくさんの人が私を助けてくれました。

観光客など訪れない、中国の新疆ウイグル自治区のクチャの食堂で食事を拒否されて追い払われた日。

3件目の食堂で拒否された時、長距離の移動や度重なる中国公安からの尋問で疲れ、お腹が空いていた私は心が折れ、その場で涙をこぼしてしまいそうになりました。

 

うつむきながら席を立ったとき、

「アナタ、ニホンジン?」

と隣のテーブルに座っていた男性に声をかけられ、息が止まるほど驚きました。

 

外国人に尋問をする中国公安や、外国人が宿泊を指定されているホテルのスタッフでさえ誰ひとり英語すら話さないその場所で…。

外国人を初めて見たと言われたり、外国人は中国公安に尾行・行動を監視されるその街で、

「ありがとう」や「こんにちは」という言葉はわからないけど、

あなた、日本人?」

という日本語だけを知っている中国人男性がたまたま隣のテーブルに座っていて立ち去る私を呼び止め、代わりに食べ物を注文して助けてくれるのってどれくらいの確率なんだろうと。

それはまるで『何があっても大丈夫だ』という神様からのメッセージのように感じられ、私を勇気づけてくれました。

 

自分の運命を生きている時、必要なときには必ず助けは現れるのだと。

 

そうやっていつも助けてくれる人が現れました。

 

私たちはどこへだって行くことができる

だから、行きたい場所へはどこへだって行きました。

 

アマゾン奥地のシャーマン達が住む村へ。

インドの秘境で森を抜け首狩り族の末裔たちが住む村へ。

イランとイラク国境の公共交通機関もない山あいのクルド人たちが住む村へ。

ヒッチハイクをし、ときには崖を滑り降り、草むらを抜けて3つの中国公安の検問所を突破し、外国人入境禁止の祈りの都アチェンガルゴンパへ。

 

一瞬の出会いが意味を持つ

入域許可証を取得し、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州を旅していたときのこと。

交通のトラブルで乗車予定のバスに乗り遅れ、外国人入境禁止の街で立ち往生してしまいました。

英語が通じないその場所で代わりのバスを探す私の目の前に突然1人の女の子が現れ勝手に通訳を始めました。

チップが目的かと思い戸惑う私を一生懸命助けてくれた彼女は、連絡先を教えて欲しいとだけ言い去っていきました。

 

あの日、彼女がなぜあんなに一生懸命私を助けてくれたのか帰国後に彼女からもらった1通のメッセージで知ることができました。

 

『あの日、友人を交通事故で亡くした私は友人に最後のお別れをしに行った帰り道で悲しみと絶望の中にいました。
そんな時、外国人はいないはずのこの場所で日本人らしき女性が突然目の前に現れ驚きました。
私は子供の頃からジブリなど日本のアニメが大好きで日本は私にとっていつか行ってみたい憧れの国でした。
でも私の国はとても貧しい国なので日本に行くことなど絶対に無理だと諦めていました。
それなのに、あの日私は本物の日本人であるあなたと会話をし、助けてあげることすらできました。
あなたはただの偶然だと思うかもしれないけど、これは信じて頑張れば夢は叶う』という宇宙からのメッセージのように思えました。
そして、友人を失って沈んでいた私の心を明るくしてくれました。いつか絶対に日本に行きます。』

 

というものでした。

 

この広い地球での一瞬の出会いが意味を持つ、ご縁の不思議さや大切さを感じさせられました。

 

誰もが何かを信じていたい

仏陀が悟りを開いた地で座禅を組み、

マクロードガンジではダライ・ラマ14世に謁見し、

破壊と創造の神々が支配するその地で聖なるガンジス川に献花し、

キリストが奇跡を起こした夜のガラリア湖に沈みバプテスマを受け

イランのマシュハドではヒジャブを被りメッカに向かって祈りを捧げました。

誰もが自分の中に神様を持っていて幸せを願い、何かを信じていたいようでした。

 

正義と悪とは、真実とは…

イスラエル、パレスチナで考えさせられた正義と悪の概念。

 

戦争寸前の犬猿の仲と言われるインドとパキスタン国境のワガボーダーではインドとパキスタンの衛兵たちがしっかりと握手を交わし、息のぴったり合った閉門式を行っていました。

イランではアメリカ製の薬や製品が販売されており、スムーズに仲直りする事前準備ができているとも聞きました。

メディアの真実と嘘について常に考えさせられました。

 

祖国への愛

ときには後ろ指を指され、小石を投げられ人種差別を受けたこともありました。

 

「なぜ真珠湾を攻撃したんだ?」

「ヒロヒトはヒトラーを超える悪だ。」

「神風特攻隊は最悪なテロリストだ。」

 

そんな風に批判を受けたこともありました。

 

でも、それとは全く比べ物にならないくらいたくさんの、

『私たちは日本が、日本人が大好きです。ありがとう日本!』

という言葉をいただきました。

 

「日本はインド独立のために共に戦った戦友だ。」

「日本が私たちの国を豊かにしてくれた。」

「日本は世界の誇りだ。」

 

東南アジア諸国はもちろん、

バルカン半島諸国や、

中米のジャングルの中の遺跡、

中央アジアの秘境にまで日本が支援した証であるたくさんの日本の国旗マークがありました。

たくさんの日本人たちが世界で活躍していたことを知りました。

 

もしも大東亜戦争の目的が本当にアジア諸国の独立と共栄共存を願ってのことであったのなら、日本は戦争には負けてしまったけどその目的を果たしたのではないのかと感じさせられました。

 

南インドやスリランカを旅していたとき、数人の東南アジアの大学生に「日本の戦後復興や災害復興の早さについて大学で勉強している」と言われたことがあります。

 

そのうちの1人に、

『なぜ、全てを失うような絶望的な状況であっても屈することなく復興することができるのか?”日本民族の心の強さの秘密”を教えて欲しい。』

そんな風に問われました。

一体、どんな秘密を持っているのかと…。

 

私は何も答えることができませんでした。

果たして今、どれくらいの日本人が祖国を愛し、誇りを持ち、強さを持って国を護ろうとしているのでしょうか。

 

世界最強と言われる日本のパスポートを持ち、旅をして1年が経過したとき、外国の素晴らしさを感じ外国を羨ましく思いました。

そして、旅をして2年が経過したときに私が感じたのは日本と先代の日本人への並々ならぬ感謝の想いでした。

 

いつだって、どこにいたって、誰に対しても、私は『I'm from Japan.』と胸を張って言うことができました。

 

だからこそ、新型コロナウイルスで帰国せざるを得なくなったときにまず感じたことは、

『幸いにも私には帰る国がある』

ということでした。

 

そして、その国が日本であるということをとても幸せに思いました。

 

在るものこそ見えていない

国を持つことができない新疆ウイグルやチベット、

パレスチナ、

クルディスタンの人々のことを思い出しました。

毎日温かいお風呂に入れて、

好きなだけ電気を使えて、

お腹が空いたらいつだってコンビニで何かが買えて、

誰にも迫害される心配もなくて…、

 

そんな小さなことから、

『自分の国がある』

という今まで私が当たり前だと思っていたことたちは、実は全く当たり前のことではなかったことをこの旅で実感させられました。

 

ないものばかりに目を向け求め、失ったものに執着し、今、目の前に在るものに目を向けることができていない自分に気づかされました。

 

旅をしている間、同じように繰り返される退屈とも感じられる日本での平和な日常を愛おしく想っていたように、

日本で同じように繰り返される日常を送る今の私は、あの夢物語のような冒険の日々を愛おしく想っています。

 

そして、あんなにも当たり前のことではないと気づかされたものたちは再び私にとって当たり前のものとなり、

ないものばかりに目がいき、

在るものに対して感謝の心を忘れ、

時として大切なものや人を失っていく。

 

過去に執着し、未来を恐れ、今を生きることを忘れている。

 

途中で止めざるを得なかった旅に対して『所詮人生とはこんなものだ』と諦め、

周りの目を恐れ、

心の声を無視し、

本当は望んでいない安全で楽な道を選ぼうとする。

 

いかに心の声に従い信念を貫き通して生き続けることが私にとって難しいかを実感させられました。

 

だから私はこれからもずっと…

でも、旅中に感じる、胸が熱くなるような、ワクワクする、なんの畏れもない、魂と繋がったようなあの感覚は忘れたくない。

 

だから、これからどんなに世界が変わってしまおうと、

周りからどう見られようと、

私はずっと、自分の心に正直に生きていきたいです。

 

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Noriko Sumiya

約2年間の世界ひとり旅を経験。通算80カ国+未承認国家を訪問。 2020年3月に新型コロナウイルスの影響で帰国した後は『心の声に従い、自分らしく生きる』というテーマに焦点を当て、世界中どこでもパソコン1台で収入を得られる自由な旅人に転身。同じ夢を持つ方たちを応援したいと思い情報発信をしています。ビジネスブログも書いていますのでよろしければご覧ください!

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© 2023 Noriko Sumiya